イベント詳細

第50回『人形の町、岩槻の地域美産たち』

美産会世話人伊豆井秀一企画・案内「さいたま美産会‐Ⅵ」

--このイベントは終了しました--


2007年10月13日(土)開催

「人形の東玉」HPより

記念すべき美産会活動の第50回催事は、伊豆井秀一世話人による「さいたま美産会シリーズ」そのⅥです。今回訪ねるさいたま市岩槻区は、室町時代からの歴史を有する地で、「人形の町、岩槻」としても全国的に有名。過去5回の「さいたまシリーズ」以上に内容豊かな伊豆井さんの企画・解説です。

岩槻城の長屋門 通称黒門

 

岩槻の地は、周辺には利根川(現・古利根川)、荒川(現・元荒川)などの大河が流れ、古くから東北地方に通じる主要な街道が通るなど、水陸交通の要衝でした。このため岩槻は、軍事上の拠点として時の有力武将から重視され、例えば室町時代の長禄元年(1457)太田道灌によると言われる岩付(槻)城の築城、江戸時代には大岡家岩槻藩2万2千石の城下町として、また日光東照宮の造営後(元和3年(1617))は、日光御成街道の宿場町として栄えた町です。
「人形の町岩槻」の歴史は、日光東照宮の造営にあたった工匠の一部が、御成道の宿場町だった岩槻にとどまり、人形作りを手がけたのが始まりとされています。

現存する県内唯一の藩校遷喬館

 

明治に入っても岩槻の町は埼玉県東部の政治・経済の中心地であり続け、昭和29年(1954)には岩槻市となり、平成17年(2005)、さいたま市と岩槻市の合併により、さいたま第10番目の区として「岩槻区」に発展しました。 今回はこうした歴史を持つこの地の歩みを、現存する歴史的建物美産から探ると共に、五月人形、雛人形の生産高の90パーセント以上を誇る「人形の町、岩槻」の今昔も、同時にたどってみるつもりです。


伊豆井 秀一

埼玉県立近代美術館学芸主幹。埼玉県立博物館勤務の後、美術研究の傍ら埼玉県下の社会美産(パブリックアート)の調査と研究もてがけ、その成果を彩の国、埼玉県の公共空間へパブリックアートを導入するプロジェクトのまとめ役として活躍するなど、長年埼玉県の芸術文化事業を推進。1949年生。


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